明治43年から大正4年までの約5年間の付知での生活の中で、守一はよく山に入り自然を観察していましたが、山から木を出す厳しい労働も体験しました。 日々のくらしの中で守一が得たものは、東京へ帰ってからの作品づくりの中にも生かされているのではないでしょうか。