熊谷守一つけち記念館の概要
熊谷守一つけち記念館は熊谷守一の郷里、岐阜県中津川市付知町に2015年(平成27)9月、同町出身の小南佐年が蒐集した作品をもとに、開館しました。
1976年(昭和51)熊谷守一が96歳の時、付知町の実業家三尾隆夫氏が町の北端に「熊谷守一記念館」を設立し、三尾氏の蒐集品と付知町の所蔵品が展示されました。
展示の油彩画には守一の付知への深い思いが表現されており、墨彩画や書は晩年を代表するものでした。
1996年(平成8)には町制施行100周年の節目に建設されたアートピア付知工芸プラザに「熊谷守一記念館」は移転しました。
その後2015年(平成27)9月に公益財団法人「熊谷守一つけち記念館」が付知町南部に開館し、旧「熊谷守一記念館」は守一の次女・熊谷榧氏と中津川市ゆかりの作家の作品を展示する「熊谷榧つけちギャラリー」として生まれ変わりました。
熊谷守一つけち記念館では120点程の油彩画収蔵品の中から常時60点余りを展示しています。
また守一が愛用していた数々の品も遺族からお預かりしており、墨彩画、書等と共に随時紹介させて頂いております。



施設概要
施工年 2015年 地上2階建て
敷地面積 2,392㎡ 建築面積 618.31㎡
1階床面積 566.18㎡ 2階床面積 251.01㎡
守一と付知
1880年(明治13)熊谷守一は、岐阜県恵那郡付知村(現中津川市付知町)に7人兄弟の末っ子として生まれました。
父 孫六郎は岐阜市で製糸工場を大規模に経営していました。又政治家として岐阜市の初代市長、衆議院議員も務めました。
守一は3歳になると、実の母と暮らす付知村から岐阜市の父のもとに独り引き取られました。
父は守一を実業家として育てるつもりだったようですが、成長するにしたがって、守一の絵画に対する思いは強くなり、1900年(明治33)東京美術学校西洋画科撰科(現東京芸術大学美術学部)に入学を果たします。
同期には青木繁をはじめとする明治以降の洋画界を担うそうそうたる仲間たちがいました。
父孫六郎は守一が2年生の時急死してしまい、それからの守一の生活は厳しいものになりました。
1904年(明治37)美術学校を主席で卒業した後、1905年(明治38)、1906年(明治39)と農商務省樺太調査隊に参加、現地調査を絵で記録する仕事を行いました。
その後、文部省美術展覧会、白馬会展等に作品を発表していましたが、1910年(明治43)10月29日母・タイの危篤の知らせに故郷へ帰ったのを機に1915年(大正4)6月まで約5年間を付知で過ごしました。
友と山に行き飽きる事無く植物を観察したり雪山を独り歩き回ったり付知の自然の中での生活に何かを見いだそうとしていました。
時には近所の者と山仕事に行き、慣れない山道から谷川へ落ち、ずぶ濡れとなったりもしました。
二冬、日用と言う川を使って材木を下流へ運ぶ真冬の厳しい仕事も経験しました。
付知で描いた油彩画は4点存在しますが、その内2点が当館に収蔵されています。

中津川市蔵
